定期掲載 「夢追狂のラプソディ」
それぞれの夢をそして目標を持ち、期待に胸馳せて東京に出てきた学生時代の同志たち。
あるものは音楽で成功を掴み取ることを。
あるものはプロカメラマンとしての成功を。
あるものは俳優としてのデビューを誓い、そして俺もまた音楽業界で働きバンドマンや芸能人を支える仕事を一生捧げるつもりでいた。
誰も疑わなかったしみんなが夢を掴み取れると信じていた。
みんなで夢を語り合い飲む酒は格別で、それぞれの道で成功したら、俺がイベントを企画してみんなにそれぞれ仕事を依頼して同窓会をするなんて話もした。
すごく楽しくて希望と夢に満ち溢れ、俺たちならできるとあのときは「確信」していたんだ。
東京に住み始めて7年。
コロナウィルスの影響でマスクをして、電車に1時間揺られて会社に出社する自分はいま、医療関係の仕事に勤めている。
至って真面目で不自由のない生活を送りながら毎月の奨学金と家賃、光熱費を払い、余ったお金で映画や友達との飲み会に勤しんでいる。
楽しいか楽しくないかでいえば、楽しい。
そんな中、何気なく今日も一日仕事を終えてからTwitterをペラペラとスライドしていると、学生時代の同期が高校時代から付き合っていた彼女と結婚を機に地元に帰ることを知った。俳優を志していた同志だった。劇団に入ったのは知っていたがあれから何年も連絡をとってなかった。そして今日久しぶりの投稿が結婚と帰郷の知らせだった。
これでとうとう東京に残っているのは自分1人だけになってしまった。
音楽で成功を掴み取ることを誓った同志はいま地元の居酒屋の店長に。
プロカメラマンを目指した同志もまた地元のダーツバーで仕事をしていると誰かから聴いた気がするがそれ以降のことは知らないし今更連絡を取り合うようなきっかけもなかった。
そして今日、俳優デビューを目指した同志も脱落した。
いや、最初に脱落したのはまさしく自分だった。東京に出てくるきっかけとなったイベント制作会社で罵倒と怒号を浴びせられ、度重なる体罰に心身ともに疲れ切った自分は1年も経たずに会社に鍵と手紙を置いて逃げ出した。
そこからさらに1年近くは悪夢にうなされて涙流しながら朝目覚める日々が続いた。厳しく上司に指導されてしまった反動から、人に優しく接することのできる仕事をきっかけに今の仕事に落ち着いた。
そして、語り合った夢の同志たちは今日この瞬間に誰もいなくなった。
残った自分ですら敗北者に他ならないのに。
もうあいつらと夢の続きを話すことはないだろうと、そして二度とみんなで会うこともないのだろうと思うと自然と涙が出た。
そして改めて心に刻むことにした。
ここ東京で新たな夢を追うこと。
夢破れた友の分までこの東京の淀んだ空気を吸って闇雲に歩き進めることを。
STANCE PUNKSの「夢追狂の唄」を聴きながら帰路に着く。
銀色の夜明けを切り裂いて、
こっそり隠した涙には
ぶちのめされても立ち上がる
乾いた鉄の味
やっぱり涙が隠し切れないや。
「まるで残飯みたいだね」と彼女は言った
僕は結構ラーメンが好きなんですよ。
特にがっつり食べたい時は必ずと言っていいほど、横浜家系らーめんを食べに行くわけですが、食べ方には僕なりの美学があるんですよ。
横浜家系らーめんといえば、
豚骨スープに醤油、鶏油などをブレンドして、中太麺をこしらえ、トッピングには海苔、ほうれん草やメンマ、ネギ、たまごなどがイメージできると思いますが、中でも特徴的なのが、自分の好みにカスタマイズできるということ。
麺の硬さ(やわめ ふつう かため)
味の濃さ(うすめ ふつう こいめ)
脂の量(少なめ ふつう おおめ)
この3つから自分の好きなように選び自分だけの好みを追求できるという点でこんな画期的ならーめんはそうそうないと思うんですよ。
これはあくまで僕の思う最高の家系らーめんを食べる際の黄金比ですが、ズバリ。
麺の硬さ かため
味の濃さ うすめ
脂の量 ふつう
これが僕の中の最適解ですね。
まず、麺の「かため」に関しては、
らーめんを食べる時どうしても麺は時間を追うごとに麺が水分を吸って柔らかくなるんですよ。でも厨房を見てみれば麺は大量のお湯で茹でられいるじゃないですか?その際、ふつうややわめは硬めに比べて、ただの「水分」を吸っているわけなんですよ。
それに比べて「かため」はただの水分を吸う時間は短く済むし、麺がスープに改めて投入されてからそこで「スープの水分」を吸っていくので麺に味が浸透しやすく余計な水分を吸った麺よりもおいしいわけですよ。
しかも余計な水分を吸った麺は面積が広がって余計にお腹いっぱいになってしまうので家系らーめんの醍醐味を楽しめなくなるわけですよ。
その醍醐味はまたあとで説明します。
次に味の「うすめ」について
これは意外に思う人は多いかもしれません。そもそも家系を食べたい人はうすめのらーめんを求めていないと思いますし、濃厚でがっつりしたものを食したいと考えるでしょうけど、僕から言わせて貰えば、そんなのはお腹の空いた部活終わりの学生の考え方となにも変わらないですね。
そもそも家系の味の濃さをどこで調整しているかということを考えたことがありますか?家系は醤油豚骨が基本になっているので味の濃さを調整するのは「豚骨」の部分ではなく「醤油」の方なんですよ。
豚骨はどちらかというと「出汁」であって何で煮込んでいるかは横浜家系のお店によってそれぞれ色があるわけですが、濃さを左右する「醤油」の部分はまぁはっきり言って醤油の量が多いか少ないかのほぼ2択なんですよね。
もちろんこだわりの醤油を使っている家系らーめんさんも多いと思いますが、
出汁や味にこだわったスープに醤油を回しがけしている量が多いか少ないかで考えたら、僕は醤油味が強いらーめんよりスープの味をより感じられるうすめが最適解だと思うわけですよ。
現にうすめにしても味はしっかり感じられるし出汁本来の旨味を感じてすごく気に入ってます。これは是非読んだみなさんも試して欲しいですね。笑
そして脂の量「ふつう」に関して
これは無難に少ないと物足りなく感じるし、量が多いと美味しい分、重たく感じて日によっては胃もたれしてしまうからですね。
身体が脂を求めるのは本能なのでここは無難にベイシックなものでいいと思います。
以上の理由から、「かため」「うすめ」「ふつう」で注文するのが僕の中の黄金比なわけですよ。
そしてここからはまた一つこだわりの食べ方を紹介していきたいと思います。
まずは、
らーめんが届いたら、
1「黙ってなにも言わず麺をすすれ!」
これは味変することなく麺とスープを楽しむことがお店への礼儀ですね。
2「豆板醤とにんにくを入れ、麺オンザライス!」
豆板醤とにんにくをスプーン一杯くらい入れて味をカスタマイズしたならばその麺を頼んだライスの上に乗せ麺とご飯を同時食いするのがめちゃくちゃうまいですね。
3「海苔をスープに絡ませてご飯に巻いて喰う!」
これはもう最強にうまいですね。海苔がふやけ過ぎないようにするのがポイントで片面だけしっかりスープに浸して、その面を内側にライスを巻いて喰うと口の中で旨さが爆発します。
4「ご飯にキューちゃんをまぶして2、3番を繰り返し喰う!」
キューちゃんのシャキシャキとごはん、麺の3つがマッチングして、三位一体となり「味の向こう側」に僕をいざなってくれます。
5「ライス小おかわり!」
ここまでには海苔と麺を消費しておきましょう。
6「チャーシュー、卵、キューちゃん、ごま、スープでオリジナルどんぶり!」
おかわりした小ライスに残しておいたチャーシューを細かく砕き入れ、半熟卵を半分に割り、周りに少しのキューちゃんそして味変したスープを3回ほど回しがけし、最後に白ゴマを少々かければ、オリジナルしめのどんぶり完成!
勢いよく胃袋に注ぎ込めば満足度120%!
うまさの極みに至ることができるわけですよ。
ここに至るまで5年の歳月をかけ導き出した「家系の方程式」。
みなさんもぜひ試してみてください!
ちなみに家系らーめんを一緒に食べに行った彼女にはそのどんぶりのことを「まるで残飯みたいで食欲なくなっちゃった」と言われ、その子と別れてからもう2年が過ぎようとしています。
ハイリスクハイリターン。
ブラック企業正当論
いやいや、なんでもかんでもさすがに守られすぎじゃないですか?
働き方改革ってすごく大事な考え方で、
人をゴミのように扱うような企業は撲滅されるべきだと思うわけですが、そういう本当にやばい企業じゃないのに‘頑張りどころ’で踏ん張らないまたは守られてしまってヘラヘラしてるやつをみていると虫唾が走るわけですよ。
それは例えば自分の責任をどれくらい重く感じているかという点ですよ。
その責任すらも守られてしまっていませんかね?自分の役割や立場を理解してその責務を果たすのが僕は正義だと思うんですよ。
その責務を放棄して働き方改革だけでなく、会社にその責務を全て押し付けようとする輩は、もっと淘汰されてしまうべきですよ。
まぁたとえば、簡単な話。
高熱を出してしまったとして、
でも明日は絶対に外せないスケジュールがあるとしたら、なにがなんでもその責務を果たし、なにがなんでも任務を遂行するのが僕は正しいと思います。というよりそんな大事なタイミングで高熱を出している時点で自分の立場や体調管理ができていないわけですよ。
あ、これフィクションですよ 笑
仕事をどうしても休んでいいときは、仕事中にぶっ倒れて病院送りになった時だけと僕は思うんですよね。
そこまでさせたならそれは会社がいけないと思うしそれなら許せるんですが、
その努力もせずに周りを巻き込むだけ巻き込んで会社に悪影響を及ぼすような奴は、減給どころかもっと罰を与えるべきですよ。
まぁそうならないよう、なにもなかったように過ごすのがプロだと思います。
あくまでこれは働きすぎや度を過ぎたものを除き、完全な自己責任のものですからね?笑
たとえば休み明けの風邪とか熱ですよ?
これフィクションですからね?笑
僕の考え方っておかしいですか???
なんでも守られすぎると馬鹿を見るのはその周りの人なんですよ。
その人たちを差し置いて守られすぎるとその会社に価値を感じなくなってしまうので、一人一人のモチベーションや責任をある程度自己責任として守らないようにするべきだと思います。
ホワイト企業って存在しちゃいけないと思うんですよね。
まぁホワイト企業と言っているところのほとんどがオフホワイトかグレーですけどね。笑
中途半端な色になるくらいなら、
白黒つけていきましょうよ。
というわけで日テレ日曜ドラマ
「白でも黒でもない世界でパンダは笑う」
今週楽しみだなー!!
未来の「俺」に人生相談してみた。
ドラえもんの好きな回で、タイムマシンを使って中学時代のび太と高校時代のび太が小学生のび太を勉強するよう説教する話があるんですけど、あれすごいお気に入りなんですよね。笑
でももし未来の自分が目の前に現れて、自分に助言をしてくれたとしてもその行動を実際してしまうんですかね???
その回でのオチは中学時代、高校時代ののび太が帰った後に、小学生のび太が「高校生まではなれる」と安心しきって勉強せずに昼寝するという終わり方をするんですよ。
それもなんか結局未来は変わらないみたいですごく面白いじゃないですか。笑
実際変わってしまうもんなんですかね?
過去を変えることで未来って変わるんですか?
パラレルワールドが本当に存在してしまうんてますかね?
これは僕の願望でしかないですが、たとえ過去を変えようとしてもそれも経験してしまった未来に行きついて欲しいですね。笑
つまり過去を変えても未来は変わらないで欲しいです。
そのかわり未来の自分には定期的に過去に来て今の自分の悩みを相談したいですね。笑
現代「なぁー俺」
未来「なんだい?俺」
現代「未来の俺はうまくいってんの?」
未来「んーそれは教えられないな」
現代「やっぱり?俺が未来人だったら多分高校生くらいの俺にそう言う気がするわ」
未来「でしょ?知らない方が楽しみがあっていいと思うよ。まぁ辛い思いもいっぱいこれからあるけどな」
現代「やっぱりかー。いまでも十分辛いのにこれからもそういうのって続くんだ。」
未来「そうだなー 笑。でもその経験のおかげで今があるって思えるからさ。逃げたくなることあるけど周りに相談したらいいよ」
現代「相談する人が思いつかねぇ、これだけ教えて欲しいんだけど結婚してる?」
未来「それは、、、楽しみにしておいて 笑」
現代「だよなー。笑 デキ婚はしたくないんだよ。適当に選んだみたいになるし、家庭をもつと賃貸より一軒家の方がいいのか、実家に帰ったほうがいいのか、仕事はこのままでいいのかとかね。未来の俺はいま幸せなの?」
未来「んーどうだろう結局今も必死だからわからないなー。でも俺ならわかるでしょ?きっと。過去も未来もそんなに変わらないって。」
現代「そっか。それ聴いて安心した。いやなんか未来でやらかして借金まみれとか刑務所とかはいやだから聴いてみただけ。笑」
未来「あー今のお前はまだ若いからはっちゃけすぎないように注意しなよ 笑」
現代「俺もう若くねぇし!」
たぶんもし「俺」が今現在未来人で、
学生時代の「俺」に「未来は幸せか?」と質問されたらたぶん「わからない」って答える。
でも過去の「俺」の経験が、今の「俺」を形作っていると思うと過去の「俺」の生きた日々はまさしく「幸せだった」って思うんですよ。
ということはそういうことだと思うんですよ。笑
だからタイムマシンがあって過去に戻れたとしてもパラレルワールドなんて起きないでほしい。
小学生のび太が勉強せずに居眠りするみたいにね。
YUKI名曲の'あれ'で小学生の自分は高揚したんだ
それはまだ小さかった頃の思い出で、はっきりとした記憶があるわけではないのですが、その衝撃だけははっきり覚えてるんですよ。
その時は小学3年生?くらいの歳で、家で姉と母親とCATVの「スペースシャワーTV」を見ていたわけなんですよ。
そのスペースシャワーTVではたまたま新曲のPVを放送していたんですよ。そのPVがYUKIさんのミュージックビデオだったわけですが、その時の衝撃衝動ははいまだに忘れられないでいます。
その衝動は初めての「性」でした。
小学生の時なんて生活の全てが友達と外で遊ぶことやゲームのこと、給食や晩ご飯の献立がなんなのかくらいしか頭にないわりと普通の小学生だったんですけど、そのミュージックビデオを見てからは次第に女の子を意識するようになったんですよね。
まぁあそこをいじるほどの考えはないにしても家に帰ると何気なくテレビをつけてはスペースシャワーTVを観て偶然でも同じPVが流れてくれないかなとまで思っていたわけですよ。
そこまで生活が遊ぶことやご飯のことしかなかった脳内領域に'性'という侵入者が頭の中を占拠したわけですよ。
僕の「初めて」を奪ったYUKIさん笑
いまではこの曲を聴いたりミュージックビデオを観ただけで高揚するようなことはありませんが、身体の内側が壊れていくような、まるで雷に打たれたかのような衝撃は今も鮮明に覚えています。
そのミュージックビデオは、、、
まぁ暇があったら是非見てください。笑
でもあんなにスプーン舐めまわされたら誰でも興奮すると思うんですけどね〜。
いまだに若くてお綺麗なYUKIさんにはミュージシャンというより'女'を感じてしまうんです。
女子高生という神聖な生き物。
当時はそんなこと思うなんて1ミリもないと思っていたし、それが当たり前だったから価値なんて分からなかったけど、今思えばなんであんな崇高で禁断的な女子高生の姿をまじまじと見なかったんだろうかと後悔してます。
いまでもまじまじと見ることはできるかもしれないが、それはあくまで外にいる女子高生であって、学校のクラスで何気ない会話をしている女子高生や体操服姿を脳裏にもっと焼き付けておけばよかったですよ。
だってもう下手したら二度と見ることなど出来ませんからね。
映画とかで広瀬す○さんや橋本○奈さんが演じていたとしてもそれは仮そめの姿で、
その時代の一瞬を生きている神聖な生き物にはなれないわけですよ。
改めてそう思うと、部活ばっかで男連中と絡んでいた学生時代もしかりですが、もっと女子高生と絡んで話して、付き合ってセックスまでしておけばよかったなとつくづく後悔しますよ笑
あの神聖な生き物にもっと触れていたなら、
自分もその時しかみることのできない‘光’を見ることができたかもしれませんしね。
でも本当に中学高校にかけて経験したことが人生というベクトル方向を決めてしまうんだなと改めて思うわけです。
それがいいことや悪いことにしたって、一通りは全て経験しておけばよかったですよ。
だって学生の時は期待されていて悪いことや良いこともまだ‘やり直せる’と思えるし、若かりし過ちで済むわけですよね。
だから、もっと女子高生と絡みに絡みながら、夜の校舎窓ガラス壊して回ればよかったなと、
あらためて思ったわけですよ。
そしてこのブログを書きながらマックでフライドポテトを食べて話に盛り上がっている女子高生を見ないようにしてちょっと覗いているわけですよ。
「本物」なんて大した価値なし
本物と偽物になんの違いがあるんでしょうかね?って常々思うわけなんですよ。
「これだから素人は」って罵られるかもしれませんが、本物の超有名画家の絵と偽物の絵があったとしてどうして本物の方が高いのか未だに謎なんですよ。笑
プリントした絵なら安いとかわかりますけど、偽物は偽物で本物に寄せようと必死で描いてるじゃないですか。その絵に全くの価値がない理由ってなんなんでしょうか?
だって下手したら偽物の絵が沢山書かれたからこそ本物の作品の宣伝効果に昔はなっていたわけでしょ?
昔だと本物の絵画一点の認知なんてたかが知れていて、それを崇拝する画家によって沢山同じようなデッサンや絵画が偽物として世に出回ったおかげで広まっているわけですよ。
そうなると本物の絵画よりはそれを広めてくれるまたはそれに寄せようと必死に真似をする偽物の絵画の方が価値があると思いませんか?
それって本当に真理だと思うんですが、
絵画だけじゃなくいろんなものにそう言えると思うんですよね。
0を1にするものが「本物」で
1を100にするものが「偽物」。
そう考えると偽物のほうが十分価値がありませんか?って話なんですよ。笑
だから、0を1にする人間は本当にすごいと思うしこれからもそれを続けてほしいと思いますが。0を100にする人間の方が僕はすきですね。笑
まぁ本物になれない負け惜しみ感もありますがね!!